記事No.13 陰陽の太極と中道・中庸

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1.太極図・陰陽魚とは

太極図は、陰陽の性質の異なるものが渦を巻いている図柄をいい、中国では白と黒の勾玉のような「巴」を魚として、別名「陰陽魚」とも呼びます。

陰陽魚の黒は白を飲み込もうとして、白は黒を飲み込もうとして、ぐるぐる回りますが、黒には白い目が、白には黒い目があり、どちらかが一旦は飲み込んだとしても、やがて逆の目の色に飲み込まれて永遠にその循環を繰り返すそうです。
世の中に存在するものは、対極的なもので構成されており、片方がなくなるとそれは実態のないものになるといった意味あいもあるのでしょう。

例えば、
男と女、1日は昼と夜、善と悪、空と海、太陽と月
左と右、高いと低い・・。

さらに、意識は表層意識と潜在意識、自律神経は交感神経、副交感神経、陽子と電子、火と水・・・。
うつ病にも、交感神経優位タイプと副交感神経優位タイプ・・・。

発達障害はASDとADHD・・・。
スピリチュアル的には、〇とーと言っている人を見かけます。
脳の構造でいうと、大脳(〇)と脳幹(ー)の関係になっています。
学校教育で常に目にしているものですが、陰陽の関係がなかなか気づきにくいものでもあります。
自然現象、自然法則もよく観察していくと単純な構造となっていることが分かります。

2.文明と太極とのつながり

最古と言われる謎のシュメール文明は、紀元前3600年前に現イラク付近にあるチグリス・ユーフラテス川で発祥した文明です。
シュメール文明は突如現れ、美術、数学、天文学など現代では解明しきれないような謎に満ちた、非常に高度な文明をもち、北部領域は男性中心のアッカド人が、南部は女性中心のシュメール人が、お互いが融合しながら生活していました。
中国の殷では、シュメールの影響が大きく、「水」と女性を重要視する道教(どうきょう)が誕生します。
道の字は辶(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表しています。

「水」は、喉を潤したり、傷口をヒーリングする女性的なイメージがあります。
また、「水」を入れるには容器が必要です。
容器は、壺やボールなど凹んだ形状であるので、女性器の凹的なものと深く結びついてきます。
また、物事を丸く収めることは平和につながるため、 丸い物や女神は平和の象徴、さらには容器の中で混ぜ合わせることで多くのものが結びつくことから、縁結びの要素も表しているようです。


伊勢神社の外宮に祀られている、食物神である豊受大神(オオゲツヒメ、ウカノミタマなど)が女神であるのも、竈、土器といった容器に食物を入れる意味あいからきているのかもしれません。
厳島神社の祭神、宗像三女神(市杵島姫、 田心姫、湍津姫)や弁財天が水をイメージする海、池、湖と深い関わりがある場所に祀られています。

厳島神社

大神神社の御神体の三輪山

一方、「火」は剣や槍のように尖った性質を表し、戦争では武器を使うため、争いや敵を攻撃する男性的な凸シンボルを表します。
剣は物を切るため、縁切りの要素が大きく、破壊や欲望を表しているようです。
蛇神の大物主神を祀る大神神社(おおみわじんじゃ)は、三輪山という円錐状の形状をした山を御神体としていますが、伊弉諾神社、大山祇神社のような山や島をイメージする場所は男性神を祀っている所が多いようです。

丸っこい顔のおかめ(女性)と、口を尖らしたひょっとこ(男性)も〇と凸の関係となっているように、探してみると身近なところに凹凸の関係がみつかります。

旧約聖書に登場する、イスラエルの神宝「三種の神器」は、2枚の石版、マナの壺、アーロンの杖といったものが契約の箱(アーク)に詰められています。
契約の箱の中には、モーセに与えられた十戒が刻まれた2枚の石碑の他に、エジプト王の前で奇跡を起すために使われた「アロンの杖」と呼ばれる短い鉄の棒と、イスラエルの民が荒野で旅をしていた時に神が天から与えた 白いウェハース のような食べ物を入れる「黄金の壷」の3点が納められていました。

この三種の神器のマナの壺は女性的な凹のシンボルを、アーロンの杖は男性的な凸のシンボルを表しています。
また、イスラエルの 「三種の神器」は日本の三種の神器(八咫鏡、草薙剣、 八尺瓊勾玉 )とも類似しているとも言われるように、 2枚の石版=八咫鏡(表/裏)、 マナの壺= 八尺瓊勾玉(凹) 、アーロンの杖=草薙剣(凸)に対応しているようです。

水のような女性的な優しさの面が強く出過ぎると滅ぼされる可能性があり、火のように男性的な闘争心の面が強く出すぎると仲間同士で殺し合いが起こり、自滅する可能性があります。

悟りにもいくつかの段階があると言われていますが、仏陀が開いた悟りの一つが中道で、儒教では中庸と呼び人間の最も良い生き方とされています。
その例え話として、弾琴のたとえという話があります。

3.弾琴のたとえ

仏陀の弟子に、ソーナという厳しい修行に猛邁進する若き人物がいました。
張り切って修行するのに、いつまでたっても悟りを開くことができませんでした。
ソーナが琴の名手であったことを知り、仏陀はソーナに助言をします。

仏陀:「ソーナよ。お前は琴の名手のようだな。そこで一つ聞こう。琴の弦を強く締めすぎた場合、果たして琴はよい音色を奏でるだろうか?」
ソーナ:「いいえ、いい音はでませんね」
仏陀:「では、逆に琴の弦を緩めすぎると、良い音色はでるだろうか?」
ソーナ:「いいえ、やはりいい音はでませんね・・」
仏陀:「もし、強く締めすぎず、緩めすぎずにいると、丁度よい度合いをもっていたら、良い音色を奏でるだろうか?」
ソーナ:「そのとおりです!」
仏陀:「琴の音色と同じように、行き過ぎた努力は高ぶりを招き、少なすぎる努力は怠惰を招く。それ故、自分の身の程にあったところを知り、そこに目標を得なさい」
と論され、後にソーナは悟りに至った・・・。

果たして、弦を欲望や善悪に置き換えるとどうなるだろうか・・。

4.陰陽反転

水は善的な癒しをもたらしてくれますが、過剰になりすぎると豪雨、洪水、津波といった禍をもたらすように、過度な優しさは自分や他人を甘やかし、過度な自己犠牲精神は身を滅ぼすことにもなります。
また、寒い日の水は凍えるような痛さに変わってきます。

逆に、火は火事や火傷のように恐ろしく痛々しく厳しいイメージがありますが、寒い日には一転して、まどろむようなヒーリング効果をもたらしてくれます。
また、ギリシャ神話のプロミテウスは人類に火を与えた神ですが、人類が鉄器や武器を創造することができるようになったように、破壊だけでなく創造する力にもなります。
立場を変えてみると、陽的性質であったものが陰に変化し、また逆に陰的性質のものが陽に変化するように、状況によっては陽も陰あるいは善と悪ははっきりと定義できないことになります。

つまり、白黒をつけようとすればするほど、無限ループ的に拉致があかなくなるということで、完全を目指さず適当なところで終わらせるのがいいのでしょう。