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毒親両親と異常な兄に囲まれ奴隷的生き方で統合失調症(診断名だけ)に

生い立ちと精神疾患

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いつか、雨はあがるさんのブログより

記事一覧 - いつか、雨はあがる。
虐待でうつ病、パニック障害を発症。自殺未遂、向精神薬・安定剤依存、入院を経て、現在は非正規で働いています。ようやく前向きになれてきました。

 

過干渉、醜形恐怖、おねしょ(反抗期なし)⇒リストカット、オーバードーズ(睡眠薬)⇒統合失調症と診断(ただし医師の勘違いで症状悪化)⇒うつ、パニック発作、拒食症、希死念慮、自殺未遂

 

・幼少期~成人期

私は幼少期からずっと、日常的に容姿に対する悪口を言われ続けていました。
毎日毎日です。
「お前は汚い、臭い。」
「服の着方のセンスがない」
「何をやってもおかしい」
「背筋がいつも曲がっている、せむし女」
「歯が黄色い」
「髪の毛が薄い」
「歯並びが悪いから矯正しないといけないのに父のせいでお金が無い」
「鼻が低い」
「父に似て足が短い。私に似なかったから」
「足が太い」
「びっくりするほど毛深い」
など。

 

醜形恐怖

 

殴られたり、物をぶつけられたり、髪の毛を引っ張って部屋から引きずり出されたりしながら言われたこともありました。
そういう悪口を言う時の母の顔は、憎悪、嫌悪に満ちていて、心底気持ちがわるい!という風に私のことを言うのです。

かと思うと、

「クラスで一番かわいい」
「淡い色を着せると似合う」

などと褒める時もありました。
私は母の言葉を全部真に受けていましたが、今思えば、母の気分次第だったのでしょう。
母にとって私は、いつでもどこでもいじめて殴ることのできる、サンドバックだったのだと思います。
私は人から見られるのが怖くて、常に人の目から隠れて生活するようになりました。
学校で
「かな子はかわいいよ」
と言ってくれたり、
「かわいいのだからもっとおしゃれすればいいのに」
と、言ってくれたりする女の子もいましたが、私は自分を気持ちの悪いものとしか思えず、人前に出るのが大の苦手になりました。
今も仕事以外はほとんど引きこもって暮らしています。

 

プライバシーのない生活

 

私には「自分の部屋」という名目のものはありましたが、それは自分の部屋であって、自分の部屋ではありませんでした。
カギはありませんでしたし、母はいつでもどんな時でも私の部屋に入れるようになっていました。
前の記事でも書きましたが、私の机やかばん、洋服のポケットは全部漁られ、日記や手紙とは全て読まれ、描いたイラストは1枚1枚気持ちが悪いと罵られながらビリビリに破かれて焼かれました。
漫画やライトノベル類は絶対に許されず、友達からこっそり借りたものは見つけられて、焼かれました。小学生の私は友達になんと言って謝っていいか分からず、弁償代として自分のお小遣いを渡しました。

私は、小学校高学年になると、名目上の自室で、一人で寝ることを望みました。
「英会話の勉強をするから」
と言ってウォークマンを手に入れ、買ってもらったクラッシック音楽や、昼食を抜いて貯めたお小遣いで買ったヴィジュアル系の音楽で、耳にふたをし続けていました。
そうしないと父と母の罵声が聞こえてくるからです。

 

夫婦喧嘩が多い

しかし、あまりに激しい物音がした場合には、暴力で誰かがけがをしたのではないかと耳をすませなければなりませんでした。
喧嘩がエスカレートしてくると、止めに入る必要もありました。

私は一生懸命、そして、ひっそりと、息を殺して自分の世界を守りました。
でも、どうしても家族と川の字で寝なければならないことがありました。
父と母はいろいろな理由を付けて、私と同じ部屋で寝ることを望みました。
それは大学生になって、たまに帰省した時もそうですし、結婚後、婚家に両親が招かれた時もそうでした。
母は主人と義父を同じ部屋にさせ、私は父母と一緒に寝るように言いました。
川の字で寝ることは強制でした。
「たまにしか会えないから親孝行だから」
と言って、同じ部屋で寝させられました。
義父も夫も、
「一人しかいない娘だから大事にされているんだね」
と言い、うちの両親の望むようにしました。
私は嫌で嫌でたまりませんでした。

高校生の時も、私の部屋にバルサンを炊いたからとか、ムカデが居たからとか、そんな理由で母と同じ布団で寝させられました。
恥ずかしい話なのですが、そうすると、高校生の私は何故か必ずおねしょをしてしまうのです。
よく母は、私がすぐにおむつが取れて、ちっとも泣かない、手のかからない赤ん坊だったことを話します。
赤ちゃんの時におむつがすぐに取れ、幼少期もおねしょなんて全くしたことのない私が、高校生にもなって何度もおねしょをしてしまうのです。

 

 

過干渉

母は洋服を買うのが大好きで、部屋にはものすごい枚数の服があふれかえって、山のようにぐちゃぐちゃになっていました。
同じような色の同じようなデザインのものも何枚も何枚もあり、一度も着たことがない服もいっぱいありました。
一度も袖を通したことのない服であっても、母は
「これは品が良くて高いものだったから」
と言って、決して捨てようとはしませんでした。
そして、私のことも着せ替え人形のように着飾らせるのが大好きでした。
一番おしゃれをしたい中学、高校時代も、母の選んだもの以外着ることは許されず、私は息のつまるような思いで過ごしました。
実家から外に出かける時は、必ず母の選んだ服を着なければならず、私は外出が苦痛で苦痛でたまりませんでした。

「お前はあごが出ている」
「きもちわるい、臭い」
などと言うくせに、母は私をお人形のように扱って、上から下まで母の好みの洋服を着せるのです。
母の着せ替えごっこは最近まで続き、私が今持っている服のほとんどは母が買ったものです。
私は30代の大人の女性です。
30代女性の洋服のほとんどが、母の見立てたものだなんてことがあるでしょうか。

 

 

金に無心

お金がないお金がないと言って、私に借金まで申し込んでくる母に、一体どうして服を買うお金があるのか分かりません。ですが、母は次から次へと服を買ってきます。
私は借金返済もあり、下着を買うのもケチるような暮らしをしているので、母が買ってきた服を仕方なく今も着ています。
母の選んだものを着るのは気持ちが悪く、正直全て燃やしてしまいたいです。

でもそうすると私の服がほとんど無くなってしまって大変な出費になるので、服に罪はないんだと言い聞かせて使っています。
そして少しずつですが、母が買った気に入らないものはリサイクルショップに売るようにし、代わりに自分で選んだ古着を買って、母の買ったものを無くしています。

 

 

自傷行為、オーバードーズ

勤め始めた頃は、通勤だけでぐったりで、朝、身支度をするのも苦痛で仕方ありませんでした。

フルタイムで働いていた時、過剰なストレスから体を壊してしまって、自傷やオーバードーズ(大量服薬)を繰り返してしまい、結局出勤することができなくなり、入院してしまいました。

当時、家族からの期待が大きくあり、しかし、体がそれに付いていかない。

親は
「私の仕事が気に入らない、もっといい職業に就けるはずだ」
などといろいろ言ってくる。

日々の業務は激務で、慣れない仕事や人間関係のストレスもあり、親の期待に沿うようになどと言っている場合ではありませんでした。

徐々に睡眠薬が多くなり、心が蝕まれ、
「家族が怖くてたまらない」
「家族から逃れるために死にたい」
「仕事を辞めるのなら死ななくては」
というような精神状態になっていきました。

 

 

入院生活

 

病院では「被害妄想」で「統合失調症」だと診断され、入院になりました。

 

その診断名のおかげで、親からは本当に嫌なことばかりをされ続けているのに、何度主治医や看護師さんに言っても
それはあなたの妄想だから
と一蹴されるようになりました。

「とにかく薬を飲め」
と言われ、私は自分が本格的に気が狂ったような気がしました。

 

仕事に行くことができなくなり、入院した精神病院。

私は認知症と統合失調症の患者さんたちと同じ部屋のベッドで入院生活を送ることになりました。

統合失調症の方は、主に幻聴が聞こえるということでした。

まだ二十代半ばのように見えましたが、ずっと入退院を繰り返していて、入院は7年目だとのことでした。

昔から夜になると
「外に出ろ」
という幽霊の声が聞こえてきて、気が付くと森の中に居たということが何度もあったそうです。

薬は効かないのか聞いたところ、いろんな薬を試したが、かえって幻聴がひどくなることもあり、いまいち効かないんだという話でした。

 

 

自殺未遂

 

退院後、仕事も退職。

私はアルバイトから始めて復職のためのリハビリをさせてくれと言いましたが、両親は外聞が悪いからと許してくれませんでした。

さらに、仕事をやめて実家に戻ってきていることが近所にばれたら困るという理由で、外出さえも禁じられてしまいました。

「どうしてアルバイトではだめなのか、こんなに体が辛いのに、一体どうやってフルタイムの正規職に就けというんだ」
と私が言ったときは、
「口ごたえするな!お前はうじうじ考えてひきこもりの頭のおかしい気持ち悪い女だ!!キチガイだ!」などと言われ、顔を殴られました。

もう成人していますし、やり返せばいいのでしょうが、幼い時からの洗脳で萎縮して、母にやり返すなんてできないのです。

私は何度か首を縄にかけましたが結局死にきれず、母親に見つかって、縄を没収されてしまいました。

そんな状態なのに、病院は必要ないと精神科に通院することも許されませんでした。

私はほとんどお金も持たないまま、実家を出て、また一人暮らしを始めることにしました。

フルタイムで働いていた時のお金は、引っ越しや税金の支払い、奨学金の返済で0になってしまいました。

なんとか生活を立て直さなければ・・・

私は新しいアパートを借りて、飲食店のアルバイトの面接に向かいました。

 

 

 

父と兄の関係

 

実は私は兄にも非常に困らされてきました。

兄は母にとても似た性格で、大変な見栄っ張り、そして浪費癖があります。

おこづかいは幼いころからすべて兄に奪われ、私が就職してからも、兄にお金を仕送りしていました。

また、私が結婚してからも一度、借金の申し込みをされています。
(この時ははっきり断りました)

また、近親愛めいたところがあり、私の結婚式の際には
「俺は出席しない」
と言い続け、結局当日は来ましたが、終始不機嫌で、食事だけしてさっさと帰っていきました。

 

さらに、私の主人に対しても、

「いつまでそんなボロアパートに住んでいるつもりか。
仕事もちゃんとせず、かな子を幸せにできているのか。」

と言ってきたこともあります。

 

そして、大変気持ちの悪い話ですが、私が中学、高校生の時は、兄と家ですれ違うと、すれ違いざまに胸やおしりをさわったり、スカートをめくったり、日常的にされていました。

お風呂も何度ものぞこうとしたり、入ってこようとしたりして、私が強く怒っても
「冗談だよ」
とへらへら笑っていました。

私の父も気持ちが悪い人で、家族に対しての執着が強すぎるせいなのか、冗談とも本気ともつかない感じで、
「兄とかな子で結婚してずっと家にいればいい。そして老後の面倒を二人で見てくれ」
と、何度も何度も言われました。

 

 

 

薬に依存する生活と断薬

 

24歳でパニック発作を発症してから、調子が悪くなると拒食傾向になるのですが

薬を大量に飲んでしまいたい衝動にも駆られます。

刃物を持って、自分自身をめちゃくちゃに切り刻みたくもなります。

産まれてきたくなかった!誰か殺してくれ!死なせてくれ! あたりかまわず、喚き散らしたくなります。

うつと希死念慮、自己破壊衝動に苦しめられ、心療内科やカウンセリングに頼りましたが、自分で虐待の事実に気が付いていないのですから、第三者に根本の原因が分かるわけがありません。
認知が歪んでいるからと、認知行動療法を勧められたり、森田療法を勧められたりして実践しましたが、どうやっても死にたい気持ちはとれませんでした。

そして、とにかくその場限り苦しみを紛らわせられればいい、とにかく今晩だけ眠れればいいと、どんどん薬に依存する生活になって行きました。

診察で
「調子が悪い」
と言えば、医者はどんどん薬を増やしてくれました。
デパス、ソラナックス、ベンザリン、ハルシオン、ユーロジン、ドグマチール、ジェイゾロフト、パキシル、リフレックス、デパケン・・・
どんな薬も、頭はぼうっと麻痺させてくれますが、本当の苦しみを取り払ってはくれませんでした。

 

パニック症状を抑えるために処方された抗鬱剤のパキシルは、特に依存性が強く、一度飲み忘れると、ジェットコースターのような眩暈と吐き気に苦しめられるようになりました。

このままでは一生治らない。
そしていつか苦しみに負けて必ず死んでしまう。
そう思った私は、薬を飲むことを自分でぱったり辞めてしまいました。
医者も薬剤師もカウンセラーも、一切信用できませんでした。
私を本当に治すという気が無く、ただ薬をたくさん買わせたいだけにしか見えなかったのです。

薬をぱったり辞めた後は、地獄の苦しみでした。
吐き気やめまい、脳みそがぞわぞわするような離脱症状で、まったく起き上がれない日が3か月以上続きました。
もう自分はおしまいだと思い、首吊も何度もやりました。

突然の断薬は本当に危険なことですので、薬を断ちたいと思っている方は、絶対に私の真似をしないで、気長に少しずつ減薬してください。
自殺を完遂してしまう危険があります。

こうして、私は薬に頼らず、自分で解決しようと試行錯誤をし始めました。

居酒屋のアルバイトから少しずつ復帰のリハビリをし、自分を癒す人や協力者を徐々に増やしました。
そして、少しずつ他者にカミングアウトする中で、親のおかしさを認識するようになり、この
「毒になる親」
の終章にある「親との対決」まで一人で行き着いてしまったのですが・・・
もしもっと前にこの本を読んでいれば、途中で迷ったり遠回りしたりすることも無く、もっとすんなり親から離れられていたでしょう。
生きるのがなぜかつらくて、少しでも自分の親に違和感を感じている人は、その違和感に目をつむらず、一度この本を読んでみてほしいと思います。

 

 

職場での価値観のずれ

 

職場でも人と話すのは苦手で苦しいですが、忙しくしていると余計なことを考えないですむので助かります。

しかし、会議なんかで自分の意見を求められるのは非常に辛いです。
私には何かを「こうしたい」という強い意志がありません。

小さいころからずっと、父母、兄のやりたいこと、したいことを優先して、全て譲って生きてきました。
だからあきらめるのがすごく得意です。

仕事をし始めてびっくりしたこと・・・、というか、不思議に思ったこと、それは、同僚がみんな職場の愚痴を言うことでした。

「上司の○○が嫌だ」
「同僚の○○とは仕事がやりづらい」
「休日出勤がいやだ」
「サービス残業がいやだ」・・・
どこの職場でも当たり前にある愚痴だと思います。
そういうことを誰かが言う時、私も同調して
「そうですよね」
とは相槌を打つのですが、本当のところ、それらのことを嫌だと思ったことが一度も無いのです。
もちろん、あまりにうつ症状が酷くて、日々も出勤もままならないような時は、
「職場に行きたくないな、休みたいな」
と思います。でもそれは自分が悪いのであって、職場のせいではありません。

もし、上司の○○からの当たりが強かったとすれば、それは自分が至らなかったからですし、同僚の○○との仕事がやりにくかったとすれば、自分のやり方に問題があると考えるわけです。

だから、私は職場の人にどのようにされても、例え無理な仕事の割り振りをされたり、嫌な対応をされたりしたとしても、なんにも嫌だとも思いません。
むしろ
「自分のような人間に、そういうことをされるのは当たり前だ」
と思ってしまうために、愚痴が出てこないのです。

小さいころからずっと我慢をすることが当たり前でしたので、少々の辛い仕打ちには、いい意味では打たれ強い、しかし、我慢をし続けるので慢性的にうつっぽい、そんな風になってしまったように思います。

 

 

 

リストカット、拒食症

実は私も、20代の前半~後半の数年間、手首をカミソリやメスなどで切っていました。
死のうと思ってやっていたわけではありません。手首を切って死ぬなんて無理だということくらいは分かっていました。

ただ、時々どうしようもなく心が辛くなって、逃げるためにハルシオン(睡眠薬)や安定剤を飲んで、薬の効き目が出てくる前に、どうしても苦しさに耐えきれずに切るのです。
現実を忘れるため、と言ったらいいのか、逃れるためと言ったらいいのか、わかりませんが・・・
今ではその時のことは夢の中の出来事のようです。

当時は何がなんだかわからないままに、とにかく苦しくてどうしようもなくて、その原因も分からなくて、手首を切っていました。
しかし、切っても夜は明けて、次の日がやってきます。
傷跡を人に見られるわけにいかないので、悟られないように幅の広めの腕時計をしたり、長袖の服を着て隠していました。

リストカットが無くなったのは、精神科に入院した後のことです。
今考えるに、あのあたりから
「親がおかしい」
ということを、だんだん自覚し始めたように思います。

私が入院すると聞いても親は全く何もせず、無視を決め込み、今の主人が(結婚前でしたが)入院の手続きや身の回りのことなど全てやってくれました。

入院のお金ももちろん、自分で払ったわけなのですが、当時うちの親から主人に対して、入院費を立て替えろ(要は借金ですね)という話があったと後から聞いて、あきれ返りました。

 

リストカットが止まる

私が入院するような事態になってもなお、私に対して何をしてくれるわけでもない。
私の仕事がうまく行って、給料がもらえている時にはお金を貸せとたかってくる。

それまで、
「自分は頼りにされ、愛されているのだ」
と勘違いをしていた私は、
「この人たちにとって私は一体なんなんだろう」
と考え始めるようになりました。

そして、私が拒食症になったり、胃腸炎になったり、風邪をひいたりするのは、いつもいつも必ず、親が私にかかわってきた時だと気が付くようになりました。

そのことに気付いてから、やめられなかったリストカットは不思議とぱったりしなくなりました。

そして、自ら親と距離を置くようになりました。

このことは当時は気が付いていません。
今、ブログを書くにあたってなぜリストカットを辞められたのか思い出してみると、そういえば、という感じです。

とにかく
「認識できていないストレス」
というのがすごく怖い、非常にまずいことだということは、ブログを読む人には知っておいて欲しいと思います。
何か自傷行為的なものが出ていたら、必ずストレスの原因になるものがあります。

そして、それを本人も認識できておらず、言語化できないために、自分を痛めつける行為で発散しているのではないでしょうか。